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名古屋を拠点とする設計事務所です。
夏が過ぎ去る寂しさと
秋に向けて落ちつきたい気分に寄り添った
なんとも色合いのいい花束をいただきました。

プレゼントして下さった方から
アアルトの花瓶に飾る様にお題がでましたが・・・




Iさま、合格点はいただけますでしょうか・・・(冷汗)


さて、この花を照らし出しているのは
ダイクール電球という白熱灯です。

国の方針で白熱灯の一部が製造中止される予定です。
環境問題への対応の一環です。


白熱灯と蛍光灯

消費電力に対する明るさ、といった合理性だけを取り上げれば
勝負は明快。

しかし空間に使う場合は、そんな合理性に加え
灯りそれぞれのキャラクターを活かして使うべきではないかと思います。


ダイクールやいわゆる電球のような白熱灯は
照らされるモノの素材感、時には温度までを視覚的に伝えてくれます。モノが微笑んでくれるような光・・・

この光を必要とする場は住宅にも多々あります。


一方蛍光灯は、いくら電球色であっても
均質さが身上。

クールでそっけなく

目の前で起こるすべての出来事が
ガラスの向こうで起こっているような印象すら
時に与える光。

例えば展示空間に蛍光灯が使用してある場合
作品を均質に照らすのが主な目的と思いますが

蛍光灯のちょっとクールな雰囲気が
現実世界からトリップした感じを生み

美術鑑賞という、ある種小旅行的な体験を
陰ながらもり立ててくれている様にも思えます。

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将来、製造されなくなった電球を
電球型の蛍光灯で代替すること自体は簡単ですが
求められる光の個性までが代替できるわけではありません。

製造中止に関する素朴な疑問も当然あるわけですが

一方で、長い目で見て空間の質が低下しないような
灯具の選定が必要になってきています。
ブログの更新があいてしまいました・・・


新たなすまいづくりのご相談をいただき
現地にお邪魔しながらお話をうかがったり

普段業務としている『設計』とはまた別の視点から
建築と関わる機会のお話など

色々な意味で
出会いに満ちた月でした。

それぞれにテーマ性の高いプロジェクトになりそうです。


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もともと筆まめではないのですが
何か考えたいキーワードがあったとき
感じるものがあったときなどに

『いつかブログに書きながら考えよう』
と書きかけのテキストデータをストックしています。

今日フォルダ内をふと見ると
2年前に書きかけた文章を見つけました。
基本設計初期の打合せ後に書いたと思われます。


(以下引用)

モヤモヤとしたものも含め、クライアントのご要望を伺う。事例を一緒に見る。惹かれるものが放つ魅力の源泉を探る。足掛かりや方向性を得るための作業。

(中略)

クライアントの中に今、可能性が一番膨らんでいる時期だと思う。初期のイメージの広がりは、実際に建つすまいをより豊かにすると考える。

しかし、その中で「形にする」というのは、ある意味「そぎ落とす」作業でもある。「そぎ落とす」ことが「諦める」のではなく「豊かさを研ぎすます」作業となる整理の仕方を見出す努力をしよう。


(以上)

こぎれいな志を文章で書くのは簡単です・・・

わずかながら経験を積ませて頂く中でむしろ
『無理なものはムリ』
と突きつけられることが多い中

大きなこと小さなこと
懲りずにチャレンジしています。


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週末は所用の帰途、馬籠に寄りました。
馬籠は気候や天候それぞれに
印象的な美しい風景を持つ街並。


この街にくると必ず
心に残る光景に出会います。


古い建物ばかりではないのですが歴史を感じる街並。
山あいという土地を豊かに活かした建物が多く見られます。


典型的な魅力の1つ
街路から暗い店の向こうに見える青い景色



簡素ながら魅力的なテラスを持つ民家
この山の中にあってはむしろ簡素だからこそ、ですね。



ガラスブロックをはめています。
南北に建物が連なる中、少しの日光も大切にしてるんですね。



ディテール、大胆すぎです(苦笑)


穏やかな気持ちで色々見て参りました。
昨日は多くの地域で大雨となり、避難や罹災された方も多数いらっしゃるとのこと、心よりお見舞い申し上げます。

こちら東海地方でも記録的な大雨となりました。

気象庁のHPにて降雨量を確認すると
同じ愛知県西部であっても
地域により降雨量にかなりバラつきがある様子。

今朝、クライアントの方々にメール・・・
お住まいその他に影響を受けていない旨ご連絡いただきました。

(ご連絡ありがとうございました)

予報ではまだ降る様子、再度大雨の危険もあるとのことですから
皆様お気をつけてお過ごしください。


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ここ1ヶ月くらい
人の生き方に触れる機会が多くありました。


まず、お盆を前後して
各地で活躍中の旧友たちが名古屋を通過するとの事
何人かに会う事ができました。

互いの差異にさほど注目せず
若い頃は過ごしてきましたが

我々のような年齢になると
生き方や悩み、そしてそこに望む光が多様であり
人に会う度に驚きがあります。

私自身職業柄、比較的多様な
(しかしそれぞれには『普通』と感じているであろう)
家族のあり方に、多く深く触れているはずですが

友人たちの
それぞれに真摯な生き方に触れることで

驚きとともに、視界のゆがみのようなものが
補正される気がします。



また、今月は初めて
宇野さんのオープンハウスにお邪魔しました。

多くの教えや気づきをいただいたと同時に
心に少しざわめきが・・・

書くべきことが整理できたら
こちらにもアップしたいと思います。

家づくりをご相談いただいている方の計画地に足を運びました。

早めに事務所を出たため、乗換駅で15分程の余裕、
その間ホームを練り歩いて見つけたのが
このちょっと不思議な魅力を放つ壁です。


近鉄名古屋駅構内

駅構内の汚い壁、と言ってしまえばそれまでなんですが
何だか気になりシャッターを押してしまいました。

山から見下ろす霞がかかった街並の様にも見えるし
抽象絵画のようにも思えます。
はたまた歴史の教科書に出てくるような
雲の間に間にのぞく城の姿のようにも見えてきます。

仮にこの壁が『額縁』に入り絵画として飾られていたら
私以外にも正面にたたずんで見入る人がいるのではないでしょうか。

『額縁に何かを入れる』ということは
 額縁の内側が鑑賞に値するものであることを示す記号
の役割を果たしていると思います。

建築をつくることにおいても

絵画・・・予条件(土地やご家族関係etc.)におけるチャームポイント
額縁・・・建築

と置き換えれば、この『額縁に入れる』という行為と似たところがあるように思っています。

特に敷地のもつ個性というのは、その土地を見慣れた目には新鮮に映りづらいもの。

誰の目にも明らかな魅力だけでなく、隠れた魅力を見いだすことを楽しみ、引立てる建築を目指して設計を行っています。

今回の現地調査でも、そんなチャームポイントを
今まだしっかりと咀嚼できないものも含め
感じとることができました。
先週、吉村さんの設計された集合住宅CASA CARICO、今週は後藤さんの設計された住宅のオープンハウスにお邪魔しました。

CASA CARICOについてはカメラを携帯していなかったため画像はありません。

簡単に文章で説明しますと
外観はRC打放の集合住宅です。内部はワンルームですが、天井を高くとって水回り上部をロフトにつかうなど、空気は一体でもエリアが仕切られた空間構成。

賃貸マンションにおいて二の次になりがちな居住空間の豊かさが大切にされたすまい。

デザインの良さもさることながら、コストもしっかりとかけられていると見受けられ、計画を実現した吉村さんの提案力とクライアントの見識の高さを感じました。

後藤さんの住宅です。



木造住宅とは思えないすっきりとしたディテールの住宅です。


キッチン上の吹抜け


階段への扉が壁面クローゼットと同じ折戸でつくられています。
住宅のように使う人が限定されている建物の場合
「わかりやすさ」を最優先しなくてもいい、という好例です。

小住宅でありながら、だからこそ、ゆったりとした吹抜を確保し、またシンプルなディテール・構成にきっとこだわったのではないでしょうか。

豊かさとは大きさじゃないんだ、という主張が見えるすまいです。

オープンハウスへは出来るだけ足を運ぶ様にしています。
空間の事例を知ることや設計者のお話を伺うことは純粋に楽しいですし、それを通じて自分自身のスタンスを確認する良い機会となるからです。吉村さん、後藤さん、ありがとうございました。

建築家は錬金術師ではありません。
「建築家が設計=こだわり」
という図式で語られる事が多いですが

予条件のなかで、どこにこだわりを持つか
それは言い換えれば
どう全体のバランスを描くか、ということであり

建築家とクライアントがそのバランス感覚を共有することが
信頼関係の要、そして良い建築の条件である
と2つの建物を拝見して思いました。

設計を建築家に依頼する場合
担当した作品の見学はもちろん参考になりますが

他の建築家が設計した建物を一緒に見学しながらの意見交換も
互いの価値観を確認するいい機会になるのでは、と思います。
ホテルと休暇のありかたについて(私にとって)新しいかたちを教えてくれたamansaraを発ち、ベトナムはホーチミンへ向かいました。

ベトナムへ訪れたのは、久々に「右肩上がり経済の元気な街」をこの目で見たかったためです。敢えて日本に例えるならば、東京の新宿と御徒町が混在したような、雑然とした中に懐かしさや親しみを感じさせる街並です。


ホテルからの夜景・・・まさに新興国と呼ぶにふさわしい景色(歌舞伎町のプリンスホテル、遠方は大久保、といった感じに見えるのは私だけでしょうか・・・)


商店が並ぶ道


すごいバイクの量です。道をわたるのが至難の業。


・・・


都心部を離れると、街道沿いでもこんな呑気なカフェが点在。木の下にハンモックを吊って休憩場所を提供しています。


歴史博物館で定期的に上演される人形劇。緑の幕の後ろに腰まで水につかった方が数人、人形を操っています。ベトナム語での上演ですが、ストーリーはシンプルで大筋は把握できた(はず)です。

街の雰囲気は圧倒的に資本主義社会ですが
この歴史博物館など公共の建物には社会主義的な雰囲気が色濃く残っています。

ベトナムは雑貨天国と言われ、人件費が低いメリットを活かして手の込んだものを比較的お安く入手できるようです。ベトナム的デザインは魅力的ですが、形態や色合いだけでなくむしろテクスチャを大切にする今のような時代にあっては

シンプルだけど、よく見ると手の込んだテクスチャ
手をかけなきゃ達成できない究極のシンプルさを持つ形態

というようなデザインを指向したものがもっとあってもよいのではないかと思いました。
日々が楽しくなると思って手に入れたのに
意外と制約に感じてしまうもの。何でしょう?

人によって答えはいろいろでしょうけど、
「家具」があてはまる方、結構いらっしゃるのではないでしょうか。

料理をするには、キッチンが必要だ。
その通りです。

食事をするには、テーブルが必要だ。
その通りです。

勉強するには、机が必要だ。
その通り、だけど、テーブルを共用できる方もいらっしゃいます。

リビングでくつろぐには、ソファが必要だ。
その通り、とは言えないかもしれないです。

などなど・・・

必要だと身をもって感じたからではなく、
必要と「思われる」ものを先回りして持ちすぎる傾向が
我々にはあるのではないでしょうか。

手に入れるために費やしたコストもさることながら、
その置き場所や手入れ、果ては処分について
時間や気持ちを費やさざるをえない・・・

がらんどうの部屋でしばらく過ごしてみて
自分にとって
日々の生活を本当に豊かにしてくれるものを見極める

そんな時間を持てたら
意外な発見があるかもしれません。

引越業者さんのトラックを見ながら
ふとそんな事を考えました。
愛・地球博の閉幕からもうすぐ1年半・・・
会場跡地が万博記念公園(モリコロパーク)として整備されつつあり、一部が開放されています。

混雑も落ちついた昨日、子どもらを連れて行ってきました。

仙田満氏設計による愛知児童総合センターは遊びの宝庫!
独身時代には魅力を感じなかったこの建物も
子どもが楽しそうにはしゃぐ姿を見ていると
いい建物だなぁ、、、と。

立場が変わると視点も大きく変化する事を
またまた実感してしまいました。

帰り道のリニモ
先頭の席にてガラス一面の夕暮れを満喫していると
(無人運転なので、先頭車両の見晴らしがすごく良いんです)
途中から乗り込んで来た友人とハチ合わせ。

偶然に友人と会ってしまうなんて
私も名古屋に馴染んで来たのかなぁという感じでした。

彼女は私と同様、名古屋在住ではありますが他の地域出身。
日本画家で、芸大時代の友人です。
名古屋に流れ着いた私に、彼女が教えてくれた事は

噂同様、名古屋の人付き合いは地域性が色濃いという事でした。

「名古屋学」なんて本にも一通り目を通していましたので
なんとなくわかったつもりではいましたけど
机上と実践では、違うんですね。

彼女から教えてもらったことでこれまでに一番役に立った事は

「○さんが△って言っていた」

「私は△だと思う」
とが同じ意味の場合があることです。

特に彼女や私のような「つくり手」の人間関係の中では
「○さんが△って言っていた」
というのは、
「しかし私は△ではなく■だと思う」
の枕詞として使う場合が多い気がします。
だから余計に特徴的だと感じるのかもしれません。

自分の意見を自分のものと主張せずに
人の意見として間接的に伝えてみる、というのは
「奥ゆかしさ」の様なものと絡んでいるのでしょうか・・・

んんん、まだまだ名古屋人への道のりは長い、ですね(苦笑)

「○○人」といったマクロな視点では
人とのおつきあいはもちろん語り尽くせないのですが
知っておいた方がスムーズな時もあるな、と感じています。
例年は正月用の花を活けていましたが
今年は南天をお正月の飾りにしました。

年末岐阜を旅した際に道端で売られていた大束の枝を分け
アトリエのあちこちに飾って楽しんでいます。

赤と緑が華やかでもあり、
古くからの語呂合わせ「難を転ずる」ことも
今年の私のテーマ「出会いに実りをもって応える」ことの1つ
と考えられもすることからぴったりだと思っています。

活けている花瓶
北欧デザインの好きな方にとっては馴染みの深い
アルヴァ・アアルトのデザイン。

美しい形のこの花瓶は、意外にも花を合わせるのが難しく
特にプレゼントとしていただくような花束の類いは大抵
驚くほど合わないのです。

使いこなせないまま、この花瓶とはサヨナラかなぁ・・・
などと思い始めていたある日、
息子が帰り道に道端で引っこ抜いてきた雑草を入れてみました。

ネコジャラシやら木の枝やら蔦の葉やら。
飼いならされてない伸び伸びとした雑草たちが
この花瓶という居場所を得てしっくりと部屋に馴染むさまに

アアルトの建築作品を思い浮かべ、納得でした。

作り手の思考や嗜好は
こんなちいさなプロダクトにも反映されているのです、きっと。
ご新居の設計をお任せいただいているIさんのご実家に、打合せでお邪魔しました。

Iさんの新居の計画地はご実家。現在お母様がお住まいになっている住宅を建て替え、同居されるのです。

市内の狭小敷地。大工さんが作られたというお宅にお邪魔すると、有効にスペースを活用し、楽しく住まう工夫があちこちに見られる興味深いすまいでした。

それに加えて私をとても明るい気持ちにさせてくれたのは

80歳近くになろうというお歳を召したお母様が、お化粧をされていたことです。

すっぴんがかっこ良い女性の知人も沢山いるのですけど、
ことお歳を召した方が、少しお化粧されているだけで、私はとても明るい気持ちになります。

いくつになっても美しく人生を歩もうという姿勢が、私の心にとてもポジティブに響くからなのでしょう。

女性が社会で働くことは、今となってはさほど珍しいことではありませんが、男まさりに身なりを気にせず働くという方法は、女性という一つの個性を無理矢理封印してしまうようで、少し寂しい感じもします。

良いも悪いも含めた全体として個性を見つめ、受け入れ、活かし続けてゆくこと・・・これは人にもすまい(特に敷地条件)にも共通する、「時を経て味が増すもの」への王道なのではないかな、と思いました。

そう言えば、もう2ヶ月近くヘアサロンに行っていないなぁ・・・そんな自分自身を反省しつつ・・・

Iさんご家族はもちろん、お母様にも満足いただけるようなすまいを目指そう、と襟を正したのでありました。
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